先日、寄稿したSUUMOタウンの府中紹介。この記事中で府中の歴史ネタとして、市内に現存する古墳について少し触れたのですが、執筆のための写真を撮りに行ったのを切っ掛けに古墳について興味が広がり、改めて市内の古墳群を訪ね歩いてみることにしました。
今回訪ねたのは、JR南武線の分倍河原駅から隣の西府駅までのひと駅区間を、やや遠回りして歩く約3km程のコース。ただ歩くだけなら30分程度ですが、じっくりと古墳やその周辺を眺めたり、後述する展示館にも立ち寄るならば、1〜2時間の余裕があると、充実した史跡散歩を楽しむことができると思います。
冒頭の写真は分倍河原駅前にある新田義貞像。この分倍河原は北条率いる鎌倉幕府が滅びる切っ掛けとなった、天下分け目の合戦「分倍河原の戦い」が行われた地でもあるのですが… 今回のテーマはそれよりも遙か古代の古墳時代です。
- 小さな古墳を巡るウォーキングも楽しいですよ?
- 分倍河原駅のすぐ近く「高倉塚古墳」を訪ねる
- 「武蔵府中熊野神社古墳」そして展示館へ
- 西府駅南口の「御嶽塚」に寄って古墳ウォーク終了!
- おまけ:古墳ウォークの前に分倍河原で家系ラーメン!?
- こんな記事もあります
小さな古墳を巡るウォーキングも楽しいですよ?
先日放送されたNHK「歴史秘話ヒストリア:コーフン!古墳のミステリー」でやってましたけど、最近は一部女子に古墳がブームなのだとか、本当でしょうか?(笑)
そういえば、楽天の「それ どこで買ったの?」にも古墳女子っぽい記事がありましたっけ…。「今年のトレンド前方後円墳」だそうです。
ヒストリアでもやってましたが、古墳人気の中心は大型の前方後円墳だそうで、まあそれは分かります。そのような有名な仁徳天皇陵や、関東の人にはなじみ深い(?)「さきたま古墳群」の二子山古墳などが作られたのは、古墳時代中期の5世紀頃。7世紀、飛鳥時代に入るとこのような巨大な前方後円墳は作られなくなり、比較的小型の円墳や方墳が、地方の有力者の墓として各地に作られたようです。
現在の府中や国立、国分寺あたりは古代の多摩川が形成した河岸段丘(タモリが好きなやつ)上にあり、府中崖線と呼ばれる段丘崖(「ハケ」と喚ばれてます)の上段である立川段丘には、府中崖線に沿って多くの古墳跡が残されています。
…以上と基礎知識として、今回のコースを見てみましょう。現在南武線が走っているのが、ほぼハケのラインになります。このエリアには他にも国立市などにも古墳群があるようです。詳しいことは、はてなで古墳ブログを運営しているオヤコフン (id:massneko)さんの「墳丘からの眺め」なども合わせてご覧くださいませ。
今回私が歩いた府中市内の古墳群のいくつかも紹介されてますよ。
分倍河原駅のすぐ近く「高倉塚古墳」を訪ねる
私も府中に住み始めてしばらくは知らなかったのですが、JR南武線と京王線が交差する分倍河原駅の周辺に古墳群があります。「高倉古墳群」と呼ばれる27基の古墳群ですが、現在も墳丘(塚)が残っているものが5基あるそうです。
高倉塚古墳 - 府中観光協会
発掘調査後に墳丘がちゃんと整備され、とても綺麗な形で保全されているのが、古墳群中心にある「高倉塚古墳」。住宅地を歩いていると「見るからに古墳!」といった雰囲気の小さな小山が現れるので、結構ビックリします。
円墳の中央には石段が作られていて、向こう側へと行くこともできます。段丘の上なので南側は開けていて、昔はとても見晴らしが良かったのでしょうね(恐らく今も周囲の家からは富士山が見えるはず)。
さて、高倉塚古墳の前にある説明を読むと、付近には3基の墳丘が現存しているようです。早速、地図を頼りに訪ねてみることにしましょう。
高倉塚古墳から歩いてすぐの距離。南武線の線路を越えた八雲神社の裏手に、それらしき塚があるようです。
確かにちょっとした盛り上がりと周囲には石積み。高倉塚古墳以外の塚は、案内の看板などもありませんが、古墳情報サイト「古墳マップ」さんの情報によると「天王塚古墳」という名前の古墳のようです。
天王塚古墳 - 古墳マップ
続いてやってきたのはこちら。もはや墳丘らしきものはなく、住宅地の一角の空き地に小さな社があるのみ。やはり「古墳マップ」によると「首塚古墳」という円墳の跡のようです。この状態のまま残されているのも凄いですね…。
首塚古墳 - 古墳マップ
「高倉20号墳」と思われる木の生えた小山は、会社の敷地内の裏手にありました。「古墳マップ」によると、挨拶して敷地内に入れて貰ったという記述もありましたが、私は外から写真を撮ったのみ。竹藪のこんもり具合が、古墳ぽいかも!?
高倉20号墳 - 古墳マップ
高倉塚古墳以外は、墳丘が残ってるといっても、言われて初めて分かるようなものばかり。それでもこんな住宅地の中に飛鳥時代頃から残されているというのは、それはそれで不思議なもの。古来よりこれらの塚が、信仰の対象となっていた故なのかもしれません。
「武蔵府中熊野神社古墳」そして展示館へ
高倉20号墳を後にしたら、徒歩で15分弱。甲州街道を挟んでやってきたのが「武蔵府中熊野神社古墳」。2005年に国史跡に指定されたことで、かつての姿で復元されることとなった、美しい化粧石(葺石・貼石)で飾られた上円下方墳です。
今まで何度か来たことがありますが、実は資料館まで入るのは始めてのことです。
この熊野神社古墳は三段構造になっていて下から一段目、二段目は方形(四角形)、三段目である上円部が円形という「上円下方墳」。全国でも5例(6例とも)しかない稀少な形だそうです。下方部(一段目)の一片は32mと、これまで見てきた小型の古墳群に比べるとなかなかの大きさです(上円下方墳では最大規模)。
そんな貴重な古墳ですが、実は近年まで古墳であることすら認知されてなく、1990年に調査によって偶然古墳であることが分かったのだそう。熊野神社の敷地であることが幸いして、今まで手付かずに残ってきたのだとしたら、それもまた凄い話です。
ちなみに、元々は古墳の前室に食い込むような形で熊野神社の本殿が建てられていたため、発掘、復元作業に際して、神社本殿は曳家により墳丘から離されたのだとか。
…といったエピソードは隣接した「国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館」にて伺ったもの。平日の午前中に訪れたこともあり、解説員の方からじっくり説明を聞くことができました(事前に府中の歴史を色々と調べていたので楽しかったw)。
国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館 東京都府中市ホームページ
展示館正面のレンガの塗り分けは熊野神社古墳の各段と同じサイズ。展示館のガラス窓の半円形も、古墳の上円部と同じサイズなのだそうです。実際に古墳のサイズを身近に感じることができる、面白い試みですね。
更に展示館入口へ続く明るいオレンジと白のレンガは、古墳に対する石室の位置や実際の角度を再現しているそうです。そんな古墳の中心軸は真北から7度西を向いた、ほぼ「磁北」を差しているそうです。古代の測量技術の正確さには驚かされますね。
展示館脇には石室の復元展示室が作られていて、中を見学することができます。その際は、ヘルメットと懐中電灯を貸して貰えますが、見事に石室内で頭を打ち付けたので、ヘルメットがあって良かった!(笑)
資料館の2階には、このように古墳の断面の土を特殊な樹脂で固めて剥ぎ取ったものも展示されています。まるで地層のようですが、これは異なる土の層を重ねることで強度を増す「版築工法」が採用されたことによるものだそうです。
この熊野神社古墳が作られたのは飛鳥時代に入った7世紀後半。古墳時代は既に終末期を迎えていて、府中の地に武蔵国府が置かれるのはそのわずか数十年後。先日調べたばかりの武蔵国府へと繋がる、この土地の歴史をまたひとつ知ることができた楽しい体験でした。
ちなみに古墳に埋葬されていた人間は定かではないそうですが、この地の有力者と考えられている他、版築工法他、大陸の面影を感じさせる最新の工法が用いられていることから、畿内と何らかの繋がりのある人物(この地へ派遣された)だったのでは?という説もあるそうです。
西府駅南口の「御嶽塚」に寄って古墳ウォーク終了!
熊野神社古墳の最寄り駅であるJR西府駅から帰る前にもう一か所。西府駅南側にある御嶽塚公園に「御嶽塚」と喚ばれる円墳があるので、立ち寄ってみましょう。
塚の上に子供が自転車を止めて遊んでいるような、完全に公園内の小山ではありますが、こちらも由緒正しき信仰の対象。周辺の古墳群(御嶽塚古墳群:現在は御嶽塚以外は埋め戻されています)からは、刀や埴輪などの出土品が発掘されています。
以上、府中市の古墳ウォークでした。実際に歩いた日は月曜日の午後ですが、熊野神社古墳展示館は休館だったため翌日の午前中に展示館のみ再訪したものです。
普段街歩いていると、見過ごしてしまうような小山や塚ですが、古代に思いを馳せながら歩いてみると、また違った景色が見えてきます。府中市内には歴史関連の資料館や博物館も充実していますし、今はネットで調べればこのような情報は沢山見ることができます。街を歩いていて気になる史跡に出会ったら、ちょっと掘り下げてみると、知らなかった歴史との出会いを楽しめることでしょう。
私も決して歴史好きという訳ではありませんが、あくまで一般人レベルで古代へのロマンは感じますし、それが自分の住んでいる地にあるものなら、とても興味深いもの。ブログのネタ的にはあまりウケもよくないかもしれませんが(笑)、たまにはこのような郷土史ネタも扱ってみたいなと考えております。
今回紹介した古墳のうち「高倉塚古墳」と「武蔵府中熊野神社古墳」はこちらの書籍にも掲載されています。私はKindle版で買いましたが、古代の中央からは離れた関東にも、非常に多くの古墳が作られていたことが分かります。
そうそう、今回の写真は先日手に入れたばかりのKOWA PROMINAR 8.5mmが中心(一部M.ZD 7-14mm PRO)。MFの超広角レンズだけでの街歩き、案外悪くないものです。
おまけ:古墳ウォークの前に分倍河原で家系ラーメン!?
今回の古墳歩きのスタート地点である分倍河原駅、2つの路線の交わる乗換駅なこともあり、私も度々利用しますが、今年の1月に家系ラーメンの店がオープンしました。
ご覧の通り、家系ラーメン、油そば、北海道ラーメンとラーメン屋3軒が並ぶ、ラーメンプチ激戦区が分倍河原に誕生です!?
稲田堤の武蔵家で修行したという店主がオープンさせた「若武者」。なるほど、武蔵家の茶色いスープの家系ラーメン(私は白いスープよりもこちらがしっくりします)。醤油味は濃いめで、油も結浮いてますので、私は「麺固め」のみのオーダーで丁度いい感じ。
飛び抜けたインパクトはありませんが、家系ラーメンの選択肢が少ない府中において(府中駅前に2店舗ほどありますが)王道の家系ラーメンを食べられる店として、開店以降ちょいちょい利用しております。
ライスは無料、私はほうれん草かキャベツをトッピングして頼むことが多いです。
古墳ウォーク前のスタミナ付けに、又は古墳帰りにこってりとした家系ラーメンを一杯、いかがでしょう?(笑)