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国分寺散歩:野川の水源地を巡りつつ史跡だらけの国分寺を歩く

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JR西国分寺駅から国分寺駅に掛けて点在する野川の水源となっている湧水スポットを歩いてみました。

西国分寺駅から東山道武蔵路跡へ

スタート地点に選んだのはJR西国分寺駅。

ランチは「味噌中華そば ムタヒロ」の煮干しつけ麺。つけ汁は煮干し感じたっぷりで結構しょっぱめ、〆にスープ割の他、一口程度のご飯を貰ってのご飯割りもできます。極太のワンタンのような麺が数本入っているのが面白い。初めて注文しましたが、自分の好みだとやはりムタヒロは中華そば系が好きですね。

国分寺市は武蔵国の国府があった府中市と同様に史跡が多く残る街。「国分寺」という地名にしても、奈良時代に聖武天皇によりに全国に建立された寺院(国分寺・国分尼寺)を由来としているもの。

お天気は雲多めの晴れですが、この日も猛暑日で歩いているだけで汗が吹き出します。

「東山道武蔵路」は7世紀後半から8世紀前半に掛けて整備された幹線道路。幅15mとかなり大規模な道路の遺構でブラタモリにも登場しました。現在の府中街道のすぐ横を走っていますが、似た道筋の鎌倉街道上道とは別の道で(道も重なってない)、一度は完全に廃れしまった古代道路のようです。

現在は遺構のレプリカの他、一部が大きな遊歩道として整備されています。

史跡の資料的な看板などは拡大すれば読めそうなサイズで貼っておきます。

都立武蔵国分寺公園

国分寺市内では日立製作所 中央研究所に次いで最大級の緑地帯である「都立武蔵国分寺公園」。

虫を見ながらの雑木林散策。

白いふわふわの虫を発見。アリか何かが運んでると思ったけど足が少し見えるだけで本体が見えない。

これは右下にアゴが見えているけど、どうやらクサカゲロウの幼虫。ゴミや食べた虫の死骸を背負う習性があるらしく、食べ終えたアオバハゴロモのフワフワを背負っている状態みたい。

「国分寺崖線(ハケ)」と「武蔵国分寺公園 寺域北辺構」。

真姿の池湧水群

さて、国分寺崖線による段差を下りて行くと……

ハケ下に豊富な湧水が湧き出しているポイント。東京都指定名勝「真姿の池湧水群」です。

周辺には複数の湧水ポイントが点在していて、集められた水路はやがて野川に注ぎ込みます。

「真姿の池」。



国分寺市の野菜、「こくベジ」としてブランディングしているみたい。

武蔵国分寺跡、万葉植物園

真姿の池湧水群から西にかけて「武蔵国分寺跡」のエリアに繋がっています。

武蔵国分寺跡資料館や史跡の駅(おたカフェ)などもありました。この日は休業。

史跡だらけで全部回ろうと思うとなかなか大変ですが、今回は野川の水源を巡るのがメインで、ついでに周辺の史跡も見ていくぐらいの感じ。

武蔵国分寺。奈良時代の武蔵国分寺の流れを組むお寺になるのかな。ホームページを見るとそんな感じですけども。

武蔵国分寺の境内の一部は「万葉植物園」として公開されています。

国分寺崖線の斜面の中も植物園になっています。

立派な「国分寺楼門」。江戸時代のもので明治に東久留米市から移築されたそう。


だだっぴろい「武蔵国分寺跡」にやってきました。

あくまで「跡」であり建物などはなく遺構も埋め戻されていて敷石の一部が残っているだけです。

読めるサイズでアップしてあるのでご興味があれば拡大してどうぞ。

広大な土地が贅沢に残されています。


お鷹の道

水路沿いの「お鷹の道」に戻ってきました。

小魚の姿なども見られる美しい水路です。


「お鷹の道」は江戸時代に徳川家の御鷹場に指定されていたことに由来する呼び名とのこと。府中には徳川家康が鷹狩りをする際に利用した府中御殿跡がありますし、ハケの段差による見晴らしの良い広大な土地、交通の要所でもある街道が通る府中、国分寺エリアは鷹狩りに適した土地だったのでしょう。



野川上流部を歩く

さて、湧水群からの水路を外れてやってきたこちらは野川の最上流部。かつて暗渠化されていた場所が、現在は開渠となっています。

徒歩で辿れる野川の最上流部。中央線の線路を超えた野川の水源地は日立製作所 中央研究所の敷地内にあります。年2回、4月と11月の一般公開日にしか立ち入ることができませんが、現在はコロナ禍の影響により公開が止まった状態だとか。野川ファンとしては一度見てみたいものです。

再び野川を辿ります。

不動橋にてクランクする野川。奥で注ぎ込んでいるのが真姿の池湧水群からの水路です。

湧水群からの湧き水もそれなりの水量がありますが……。

流れ込み部分、やはり野川の本流の方が水量は圧倒的ですね。


東京経済大学内:新次郎池(東京の名湧水57選)

さらに野川を下って行くと野川にまた1つの流れが注ぎ込んでいます。

ちなみにここから野川の管轄が、東京都北多摩北部〜から東京都北多摩南部建設事務所に切り替わります。

多くの人が見慣れた野川はここからのスタート。以前、国分寺駅から歩いたことがあります。


この流れ込みもやはり国分寺崖線の斜面の方から流れてきます。

東京経済大学 国分寺キャンパスへ。9時〜18時の間、敷地の一部が一般公開されています。

国分寺崖線に面した「東経の森」。

敷地内の「進次郎池」もまた国分寺崖線からの湧水。


池の周囲の複数箇所から豊富な量の水が湧き出していました。

そのうちの一箇所ではオニヤンマが産卵中。そういえばこの日はおにやんま君を付けてくるのを忘れてしまいましたが、数時間歩き回って虫除けスプレーの効果も落ちてきた頃、ここでオニヤンマを見てる最中に蚊に刺されまくりました。リアルオニヤンマが近くに居ても蚊にはあまり関係ないような気がしました。

野川の水源、姿見の池、恋ヶ窪用水

国分寺駅の北口から西国分寺方面に線路沿いを歩きます。写真は国分寺駅から西国分寺駅方面を見ています。奥に向かって窪地になっているのがよく分かりますが、これが恋ヶ窪谷。野川の水源が流れる、国分寺崖線が武蔵野段丘に深く切れ込んだ谷戸地形となっています。

このフェンスの向こう(日立製作所 中央研究所内)に野川の水源となる湧水があります。フェンス際で耳を澄ますと、かなり激しく水が流れる音が聞こえてきます。

真姿の池湧水群、進次郎池と合わせて野川上流部に点在する3箇所の水源地を巡ることができました。

このような散策路もあるようです。今回歩いたルートとはかなり被っていて、進次郎池の代わりに武蔵国分尼寺跡を巡るようにになっています。そういえば殿ケ谷庭園内にある湧水も、下水などを通じて野川に注いでそうですがどうでしょう?

中央線だけでなく西武国分寺線も並走してます。

このまま姿見の池を経由して西国分寺駅まで歩きます。

「姿見の池」はやはり国分寺崖線からの湧水や恋ヶ窪用水(玉川上水からの分水)の流れを集めた池ですが、昭和40年代に一度埋め立てられてしまい、現在の池は平成に入って整備されたものです。

現在の姿見の池からの流れは先程の野川水源にも繋がっているようです。


恋ヶ窪や姿見の池には鎌倉時代の武将畠山重忠にまつわる悲恋伝説なども残っているようですが、気になる人は解説を拡大してどうぞ。

姿見の池に放されているニシキゴイ。池を覗いたら近寄ってきました。餌付けされてるのかな?

姿見の池に流れ込んでいる水路は「恋ヶ窪用水」として整備されているもの。

姿見の池緑地の公衆トイレはなんとウォシュレット付き。

緑地内を流れる水路、いい感じに整備されています。

道路に出た時点で暗渠となっています。この水は武蔵野線のトンネル内に流れ込む地下水(湧水)を利用しているようです。湧き出す場所は違えど、今日見てきた武蔵野台地(国分寺崖線)の湧水と同じですね。

元々は玉川上水からの分水だった恋ヶ窪用水。恋ヶ窪緑地周辺のみ復元整備されています。

この日の散策はここまで。西国分寺駅に出る途中でこくベジの販売所があったので野菜を買って帰ります。


国分寺で買った野菜をたっぷり使ったこの日の夕飯。こちらも西国分寺駅の改札前で買った卵と合わせて、トマトと卵の炒めものにしました。

この日は360mlのタンブラーを持ってきたけど、途中で650mlの麦茶を追加で1本飲み切り、さらに西国分寺駅に戻ってからもう1本買ってしまうほどの暑さでした。保冷ボトルがあるとペットボトルで買った飲み物を移し替えて冷たいまま持ち運ぶことができます。



この日の散歩ルート

歩いたコースはこんな感じ。もう少し早いスタート時間なら、国分尼寺や殿ケ谷庭園に立ち寄っても十分間に合ったでしょう(途中、国分寺駅で少し買い物とかしていましたし)。
以前、野川を国分寺から二子玉川まで歩いたときから、未踏部分だった最上流の湧水ポイントも見ておきたいと思っていたのですが、近所に住んでいながら随分と行くのが遅くなりました。

府中と国分寺、どちらも古代からの歴史が多く残る街であり、それぞれ府中崖線、国分寺崖線というハケ沿いに発展してきた共通点がありますが、実際に歩いてみるとやはり違いも多く楽しい散歩となりました。